Memories and records of my muzikrecord

林ともひとと申します。 音楽の事を少し 徒然なるままにしたためます。

ギラジルカ「ケンちゃん」2020年のmuzikrecord

私の2020年の幕開けはこの曲だったかもしれない。

TwitterのTLにユニバーサルミュージックのプロモーションが流れていた

普通ならスルーするのだが

恐ろしい嗅覚ですよね

光り輝いていたんでしょうか。

 

リンク先を押してしまってました。

 

ハッキリ言って素晴らしい曲

 

昭和歌謡をベースにしているが

ギラジルカ氏の歌唱力と表現力があってこその1曲に脱帽してしまった。

 

PVをとにかく最後まで観て頂きたい。

白黒でバックダンサー4人を引き連れて踊りながら唄うPVはオサレ!

そして最後まで観て頂きたい理由は、、、、。

 

最後まで観た方と共感したいので秘密。

 

とにかく有線映えもするし

YouTube映えもする「ケンちゃん」

 

きっと話題になるだろうと思っていたのだが

コロナでプロモーションが出来ないという不遇に見舞われてしまった。

 

SNSを自由に扱えない年齢層への楽曲浸透はこのコロナ下では非常に難しい。

「地道」という活動ができないのだから先が見えない。

 

この曲を埋もれさせてはいけない。

 

私は音楽好きの友人にはYouTubeを見せ

 

カラオケで本人映像まで持っていき

いつか日の目を見る機会をと思っている。

f:id:ht_muzikrecord:20201207200816p:image

 

https://youtu.be/A4F-92f8ExI

 

 

https://music.apple.com/jp/album/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93-album-mix/1489406634?i=1489406830

CHARA+YUKI 「楽しい蹴伸び」 2020年のmuzikrecord

1999年から20年経った事が信じられない

劣化もしてなければ更に可愛いさと音楽性が増して戻って来るユニットなんて想像も出来なかった。

 

小室前の日本のR&Bの先駆者と

レベッカ以降の女性ロックヴォーカリストの融合は「愛の火 3つ オレンジ」でのエモーショナルなパフォーマンスで表現されていたけれど

 

本作はエモーショナルというより

アダルトでオシャレ

もう結構な年齢になった2人がより音に漂いながら楽しんでいるのを一聴すればわかる。

 

予定されていたツアーは中止だが

是非コロナ後の世界でリアルで楽しむ2人を観たい

 

f:id:ht_muzikrecord:20201207175544p:image

 

https://youtu.be/zn96ard6VLg

 

https://music.apple.com/jp/album/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E8%B9%B4%E4%BC%B8%E3%81%B3/1495617627?i=1495617632

2020年の音楽

2020年

「気がつけば12月」という言葉を毎年使ってはいるが

最も相応しいのでは無いのだろうか。

 

新型コロナで幕を開けた1年は個人的な生活や仕事

人間関係

日常生活をどんどん脅かし

3月から時が止まったままのような気がするのは

2020年が終わろうとする今も現在進行形です。

 

音楽はどうだったのか?

年々個人的にハマる曲が少なくなってきたなぁと思いながらも個人的な年間チャートを作成するのだが

 

今年に関しては「止まってしまった」

コンサート自体が延期から中止になり

CDの発売日も延期され

製作中の作品も未知のウイルスの対策がわからない為かリリースが無い。

 

それでも

そんな中でも音楽は鳴り響いていた。

 

出来る限り2020年にリリースされた音楽を個人的な記憶として今月中

ここに書いていこう

 

いろんな時が止まった中

私の中で流れた音楽を忘れない為の記憶として。

本名を出した理由

それは自分への責任と

約束

 

 

今回

リマインダーという80年代を基本軸にコラムを掲載するサイトに

私の拙い記事を載せていただける事になった。

 

今までにもクラウドワークスなどで音楽記事を作成し掲載されお金を頂いた事もあったが

①チケット転売サイト運営のニュースサイトだった←どんなに良い記事でもアーティストの利益に繋がらない

②名前が載らない←ペンネームでさえも

 

この2点がどうも引っかかり1年ほど書いたが辞退してしまった。

 

ブログででも音楽の事を書きたいなと思いながらも

生活を優先させてしまい普通に働くようになってしまってはなかなかに捗らなくなった。

 

さて2020年

やはり新型コロナに生活を振り回されてしまった。

Perfumeのベストアルバムツアーは千秋楽だけチケットを押さえていたので

中止に理由はわかるが絶句し

そもそも外出出来ない?

スーパーから物が無くなるなど

「気をつかう性格が行きすぎて病む」私には地獄が訪れた。

 

日々部屋で

音楽だけ聴いて

私はどうなるのか?

新譜も延期になり

持っているCDやレコードなどを整理しながらも

 

「もう    終わらせていいのかも」

というネガティヴな思考に陥ってしまった。

40歳過ぎれば身体も無理が出来なくなり

引きこもっているとどんどん身体が弱っていく

思考もネガティヴ

もう終了だ。

 

なんて思っていた時に

Twitterかメールに

昭和ポップスをzoomで語ろう

という文面を見つけた。

 

テレビもつけていなかったので

マツコの知らない世界

での昭和ポップス特集も観てなかった私だったが。

よく文面も見ずに

「語りたい」

もしくは「話したい」

という気持ちが申し込みの背中を押したんでしょうね。

申し込んでました。

 

zoomも初めてだし

そもそも自分の顔が好きやないのになんでやねんと自分にツッコミながら参加させていただきました。

 

緊張で正直何を喋ってるかわからない状態でしたが

 

「あー楽しかった」

と思えたし

新しい出会いもあり

本当に心から感謝する場をいただきました。

 

そこで

音楽の事を

「語りたい」「書きたい」

自分の音楽に対する想いやワクワクした出会いや

嬉しい記憶や悲しい記憶

何か残せれば良いと思うようになり

 

記事を書かせていただく機会や

引き続きzoomでの「語り」にも参加させていただくようになりました。

 

さて本名を何故出したか。

ペンネームでもよかったんです。

「docile(ドシル)」というペンネームをよく使ってました。

谷村有美のアルバムタイトルから頂き

ド・シ・レ♫という音

素直って意味が含まれているこのペンネームには思い入れがあったのですが。

 

せっかくのこの機会

本名で

本音を語っていけば私

何か変われるかもしてないと

漠然と思ったんです。

 

あくまで個人的な見解ですが

Twitterでいろんな事を好き勝手に呟いてる状況で

特にコロナになってから

もう情報を得る便利なツールが

落書き掲示板のような状況が続いてしまった。

もちろん私自身も含めてです。

 

こういう流れは嫌だし

正しい事は正しい

間違いは間違い

これは私の見解ですといい切れる状況にしたい

多くの人が誰かもわからない

実在するかもわからない

なら私は最低限

本名を出そう

今まで迷惑をかけてきた人も多いし

私を嫌いな人も山ほどいるだろうが

これは私が書いた事

私と私が向き合えって書ける場所

本音ならば

「本名」で良いのでは無いかと思うようになりました。

 

あと約束がありました。

 

私が幼少期の親からのストレス

CD屋から足を洗って勤めたドラッグストアでのパワハラ

相方の浮気

が重なり死んでるギリギリの時に助けていただいたカウンセリングの先生に

「林さん  林さんのお話はすごく面白いです。それを何か形にのこしませんか?  仕事はしていかなくてはいけない。 音楽の世界に戻る事もハードルが高い。 けれど私は林さんの音楽の話で涙を流すほど笑えたし聴こうと思っています。それは私だけでは無いと思うのです」

 

こう助言していただいた先生がいらっしゃいました。

その先生は体調を崩されカウンセラーという仕事から退かれる際に

私は

「先生の助言を覚えています。 私が今こうして生きてるのは先生と出会えたからです。 お辞めになられると一切連絡が出来ませんが

私が頑張ってると伝わるようにコラムを書く機会が来たら本名で書きます。 伝わるまで書けるかはわかりませんが、何年かかるかわかりませんが本名で記事を掲載してもらえるまで頑張ってみます。」

とお伝えし

12枚焼いたCDと共にお別れをした先生との約束を果たせる時が来たなと感じました。

 

リマインダーはちゃんと会社を立ち上げサイトを運営している場所です。

音楽評論家の方やラジオにも出演されてる方

別途サイトを立ち上げてる方など

本物の方達が書かれています。

また一般の方でも非常に音楽知識がしっかりされている方や文章を書くのが上手い方が多いサイトです。

 

私には

どこまで書けるかわからないし

どこまで共感を得られるかわからない

けれど

ひとつぶでも何か伝わればと

林自身の言葉で書こうと思っています。

 

 

音楽と私

私は産まれて来なければ良かった

 


音楽が

私の逃げ道で助けで

避難場所でした。

 

 

 

 


実父は酒を飲むと暴力を振るう人間

母親はヒステリックな性格

母親の兄弟は精神的な病いを患っていました。

 


そんな中3度目の妊娠で私が産まれました

 


産まれてからの記憶は

およげたいやきくん

が好きで

自由になったのに食べられる最期でいつも大泣きしてたり

ピンクレディーが好きで

タンスの上にあるレコードプレーヤーによじ登ろうとして怒られたり

夜中に両親がSEXをしてるのも見てた記憶があります

 


私が産まれたのと行き違いに母親の親

おばあちゃんが亡くなりました

不思議な事におばあちゃんの記憶が無いのにお葬式だけは事細かに覚えていて母親を驚かせていました

幼稚園に行く頃にはマンションから分譲一戸建てへ引っ越しました

 


引っ越しをし

ローンを組んだ矢先に

父親が働いていた会社が倒産

夜逃げ同然の状況

ここから父親の酒乱と暴力

母親との喧嘩が始まりました。

父親はアパレルから運送会社へ転職

母親は夜のスナックのバイトを始めました。

とにかく子供として過ごす事が困難になってきました。

 


ついに喧嘩のレベルが度を超えた

台所は一面割れた食器になってた日もあれば大声で近所の人が来る状態

 


そして

母親が寝室で寝ているのに会えないという子供ながらに状況が飲み込めない意味不明な事が起こりました

 


インターホンを寝室から居間に通しインターホン越しに母親と喋る

 


謎の状態でした

 


理由は大きくなってからわかりました

 


夜の仕事にやきもちを焼いてたんでしょうね

やりたくも無い仕事のストレスがあったんでしょうね

酒を飲んだ時

父親は母親を殴り続け眼底骨折、前歯も砕かれ

警察沙汰にならないために家で療養をしてたんですよね

 


そんな事

幼稚園児に理解なんて出来ない

状況がわからない

何か狂ってる

そんな不安で私はストレスで急に吐いたり

気道が急に閉じて呼吸困難になったり

高熱が出たりなど身体の不具合が起こり始めました

そんな時父親が友達を紹介すると女性に会わせました

 


その女性は若くてお姉さんな感じ

家の近所のアパートに住んでいて

気さくな感じで

いつでも遊びに来てねって感じで

はーいって感じでした。

ある朝父親が居ない

母親も仕事で居ない時

そのお姉さんのアパートに行ったらドアが開いてて

寝てるみたいで布団をめくったら全裸の父親とお姉さんでした

 


動物的?

よくわからないんですが

そっとアパートから出て家に戻り

コレは母親に言ってはいけない事だと頭が思ったんです。

ややこしい事になるなら私が嘘をつこう

我慢しよう

話を合わせようって。

幼稚園児?小学校入学?

笑わせるなって感じでした。

 


そりゃ

当然

離婚に向かうんですが

私に苗字の選択権を任せるために離婚はせず別居。

母親のプライドと当時の母子家庭への偏見が気になり慰謝料も母子家庭の補助も貰わず

夜の仕事をして育ててくれたんですが

ヒステリックな母親と2人

気を使う子供になりました

 


もう小学校1年で

正直

人の顔色や空気を感じる事に一番神経を使っていた。

良い子供を演じる事が出来る子供になってました。

そりゃクラスでも浮く存在になっていくし

近所付き合いが無いので余計友達も出来ない

母親の出勤前には帰らないといけないし

もう疲れてたんでしょうね

 


幼稚園の時に一度

今自分が置かれてる状況で夢なんて見れない

好きな事なんてできない

生きていけない

こんな辛い人生を歩む事は無理だと家を出て

交通量の激しい道まで行き車に跳ねられようとしました

 


大きな道に出る前に母親に見つかり

 


お父さんの会社に行こうと思った

 


って嘘をついたんですが

 


死ぬつもりでした

 


そんな中

小学校に入って

ようやく出来た友達にも

母親は

あの子とは遊んで良い

あの子と遊ぶのは絶対ダメ

言う事を聞かないと施設に放り込む

と言われ

友達まで管理されて

私はどこまで母親の良い子供にならないといけないんだろうと放課後

門限ギリギリまで学校で一人で遊んでました

 


ここまで

とりあえず

死ぬのを止めてくれたのは産まれてから一緒にいてくれたぬいぐるみ

そして音楽でした

音楽を聴いていれば親の声も聞こえない

一種のパニックルームだった存在が音楽でした。

そう

この2ツが無ければ何度も死のうとしてたと思います

 

 

 

ただ子供がレコードを聴く。

自分で買いに行けるわけも無いしお金も無い。

コレが欲しいから買ってもらいたい

この曲はあのCMで

この曲はこれぐらい売れていて

こんなに素晴らしい

と母親にプレゼンをして

買ってもらう

音楽が私と母親のコミュニケーションツールだった。

 


夜仕事に出かける前に一緒に見ていた夕ニャンだったり

レベッカの曲をカラオケで唄いたい」と言ってきた母親に笑ったり

 


喧嘩になれば

直ぐに施設に入れる

実父のところへ行け

私が赤色のものを黒と言ったらそれは黒

コレが親子の関係だと怒号のような罵声を浴びせられる日々ですが

 


音楽だけは

音楽だけが

ギリギリ繋がっている糸でした。

 

 

 

そんな音楽の事を語りたい

音楽をよりどころにしてる人に微笑んでもらいたい

 


新しい発見や出会いをしてもらいたい

 


そんな気持ちで

音楽の事を語っていきます

 

そして
自分の人生のまとめになれば

いいかなって思います。