Memories and records of my muzikrecord

林ともひとと申します。 音楽の事を少し 徒然なるままにしたためます。

音楽と私

私は産まれて来なければ良かった

 


音楽が

私の逃げ道で助けで

避難場所でした。

 

 

 

 


実父は酒を飲むと暴力を振るう人間

母親はヒステリックな性格

母親の兄弟は精神的な病いを患っていました。

 


そんな中3度目の妊娠で私が産まれました

 


産まれてからの記憶は

およげたいやきくん

が好きで

自由になったのに食べられる最期でいつも大泣きしてたり

ピンクレディーが好きで

タンスの上にあるレコードプレーヤーによじ登ろうとして怒られたり

夜中に両親がSEXをしてるのも見てた記憶があります

 


私が産まれたのと行き違いに母親の親

おばあちゃんが亡くなりました

不思議な事におばあちゃんの記憶が無いのにお葬式だけは事細かに覚えていて母親を驚かせていました

幼稚園に行く頃にはマンションから分譲一戸建てへ引っ越しました

 


引っ越しをし

ローンを組んだ矢先に

父親が働いていた会社が倒産

夜逃げ同然の状況

ここから父親の酒乱と暴力

母親との喧嘩が始まりました。

父親はアパレルから運送会社へ転職

母親は夜のスナックのバイトを始めました。

とにかく子供として過ごす事が困難になってきました。

 


ついに喧嘩のレベルが度を超えた

台所は一面割れた食器になってた日もあれば大声で近所の人が来る状態

 


そして

母親が寝室で寝ているのに会えないという子供ながらに状況が飲み込めない意味不明な事が起こりました

 


インターホンを寝室から居間に通しインターホン越しに母親と喋る

 


謎の状態でした

 


理由は大きくなってからわかりました

 


夜の仕事にやきもちを焼いてたんでしょうね

やりたくも無い仕事のストレスがあったんでしょうね

酒を飲んだ時

父親は母親を殴り続け眼底骨折、前歯も砕かれ

警察沙汰にならないために家で療養をしてたんですよね

 


そんな事

幼稚園児に理解なんて出来ない

状況がわからない

何か狂ってる

そんな不安で私はストレスで急に吐いたり

気道が急に閉じて呼吸困難になったり

高熱が出たりなど身体の不具合が起こり始めました

そんな時父親が友達を紹介すると女性に会わせました

 


その女性は若くてお姉さんな感じ

家の近所のアパートに住んでいて

気さくな感じで

いつでも遊びに来てねって感じで

はーいって感じでした。

ある朝父親が居ない

母親も仕事で居ない時

そのお姉さんのアパートに行ったらドアが開いてて

寝てるみたいで布団をめくったら全裸の父親とお姉さんでした

 


動物的?

よくわからないんですが

そっとアパートから出て家に戻り

コレは母親に言ってはいけない事だと頭が思ったんです。

ややこしい事になるなら私が嘘をつこう

我慢しよう

話を合わせようって。

幼稚園児?小学校入学?

笑わせるなって感じでした。

 


そりゃ

当然

離婚に向かうんですが

私に苗字の選択権を任せるために離婚はせず別居。

母親のプライドと当時の母子家庭への偏見が気になり慰謝料も母子家庭の補助も貰わず

夜の仕事をして育ててくれたんですが

ヒステリックな母親と2人

気を使う子供になりました

 


もう小学校1年で

正直

人の顔色や空気を感じる事に一番神経を使っていた。

良い子供を演じる事が出来る子供になってました。

そりゃクラスでも浮く存在になっていくし

近所付き合いが無いので余計友達も出来ない

母親の出勤前には帰らないといけないし

もう疲れてたんでしょうね

 


幼稚園の時に一度

今自分が置かれてる状況で夢なんて見れない

好きな事なんてできない

生きていけない

こんな辛い人生を歩む事は無理だと家を出て

交通量の激しい道まで行き車に跳ねられようとしました

 


大きな道に出る前に母親に見つかり

 


お父さんの会社に行こうと思った

 


って嘘をついたんですが

 


死ぬつもりでした

 


そんな中

小学校に入って

ようやく出来た友達にも

母親は

あの子とは遊んで良い

あの子と遊ぶのは絶対ダメ

言う事を聞かないと施設に放り込む

と言われ

友達まで管理されて

私はどこまで母親の良い子供にならないといけないんだろうと放課後

門限ギリギリまで学校で一人で遊んでました

 


ここまで

とりあえず

死ぬのを止めてくれたのは産まれてから一緒にいてくれたぬいぐるみ

そして音楽でした

音楽を聴いていれば親の声も聞こえない

一種のパニックルームだった存在が音楽でした。

そう

この2ツが無ければ何度も死のうとしてたと思います

 

 

 

ただ子供がレコードを聴く。

自分で買いに行けるわけも無いしお金も無い。

コレが欲しいから買ってもらいたい

この曲はあのCMで

この曲はこれぐらい売れていて

こんなに素晴らしい

と母親にプレゼンをして

買ってもらう

音楽が私と母親のコミュニケーションツールだった。

 


夜仕事に出かける前に一緒に見ていた夕ニャンだったり

レベッカの曲をカラオケで唄いたい」と言ってきた母親に笑ったり

 


喧嘩になれば

直ぐに施設に入れる

実父のところへ行け

私が赤色のものを黒と言ったらそれは黒

コレが親子の関係だと怒号のような罵声を浴びせられる日々ですが

 


音楽だけは

音楽だけが

ギリギリ繋がっている糸でした。

 

 

 

そんな音楽の事を語りたい

音楽をよりどころにしてる人に微笑んでもらいたい

 


新しい発見や出会いをしてもらいたい

 


そんな気持ちで

音楽の事を語っていきます

 

そして
自分の人生のまとめになれば

いいかなって思います。